旧都カラコルムを再建する公文書への署名式行われた
旧都カラコルムを再建する公文書への署名式が行われた
旧都カラコルムを再建する公文書への署名式が政府庁舎の記念ホールで行われた。これはフレルスフ大統領が旧都カラコルム再建をモンゴル政府に指示した大統領令となる。同大統領令の目的は、国民の健康と安全な生活環境の整備、基礎的社会サービスへのアクセスを増やし、人口密集を緩和し、バランスがとれた地域開発を確保し、国家の貴重な遺産の確保と歴史文化を復元すること。この一環でオルホン渓谷の歴史的名所における行政、文化、教育、観光に基づき、環境に優しく近代的なソリューションを実現したカラコルム市の建設を検討し、法規に従いた調査を実施する。カラコルム市の建設マスタープラン、道路網、エネルギ ー、給水、ライフラインのフィジビリティ・スタディを世界の都市の動向、モンゴル環境の特徴などを、歴史文化に関連付けて作成する。ユネスコ世界文化遺産に登録されている「オルホン渓谷の文化的景観」の保護、モンゴル帝国の旧都カラコルムを再建する歴史的で名誉ある大建設にリーダー的な役割を果たすよう、個人、団体、企業に呼びかける。モンゴル帝国時代の旧都カラコルムの遺跡は、ウブルハンガイ県ハラホリン郡にある。カラコルム市は、1220年にチンギスハーンによりモンゴル帝国の首都として建設され、後継者のオゴデイハーンの治世中の1235年に完成した。カラコルムは当時、モンゴルの政治、経済、文化、行政、国際関係の中心地だった。都市は、2階建ての土壁で警備され、4側に大門があった。4大門の入口で交易が行われ、北大門には馬、東大門には穀物、正大門に牛車、西大門に羊や山羊が取引されていた。クビライ・ハーンが1271年に元朝を建国し、モンゴルの首都を北京にしたことから、この都市の意義が薄れ、1379年~1380年にかけて明軍が攻撃を繰り返し、100年以上の時を経て、カラコルムは次第に衰退し、崩壊した。なお、カラコルムの遺跡は1971年に特別保護区域として指定され、1995年~1997年にユネスコ、モンゴル日本政府が協力し、カラコルム遺跡に関する歴史的な文化財保護のための事業を実施し、同市の位置図を作成し、保護区域を特定した。
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