モンゴルで、チンギス・ハーンの息子一族の宮殿と推定される遺跡が確認された
モンゴルで、チンギス・ハーンの息子一族の宮殿と推定される遺跡が確認された
モンゴル帝国がユーラシア大陸を占拠できた理由を探る日本の新潟大学とモンゴル科学アカデミー考古学研究所の合同考古学調査が行われ、モンゴル東部のハンザト遺跡で、チンギス・ハーンの息子一族の宮殿と推定される大型建物跡が確認された。調査は2001年に始まり、ウランバートル南東約200キロのアウラガ遺跡をチンギスハーンの本拠地と確定し、発掘を重ねてきた。昨年、その東北約250キロにあるハンザト遺跡の調査にも着手し、本格的な発掘を行いた。ハンザト遺跡は南北220メートル、東西160メートルで低い土壁で囲まれている。4つの建物の基礎があり、最大の中央のものが「正殿」と見なされた。建物は幅33メートル、奥行き14、5メートルで、正面に幅24メートル、奥行き12メートルの庇型ポーチがあった。木柱は直径約50センチ太く、2階建てと考えられる。軒丸瓦を含む大量の瓦が出土し、総瓦葺き屋根だったそうです。床に焼けた建築材と焼土が積み上がり、火災で滅びたとみられる。研究代表の白石典之・新潟大学教授は高い建築技術に着目している。正殿の基壇は、地面が深さ1、3メートルまで掘られ、粘土やシルトを層状に交互に突き固める「版築(はんちく)工法」で地表面から約70センチの高さまで造成されていた。こうした建築技術は、1234年に滅びた金の技術者に出させた可能性があるとのこと。軒丸瓦にある龍の意匠は金の出土品に類似したほか、金で使われた女真文字が記された瓦が見つかっている。白石教授は、チンギスハーンのフラン皇后の息子フルゲンの一族を挙げている。遺跡は川の近くにあり、夏の宮殿とみられるが、出土品は少なく、主の不在時に襲撃されたようだ。白石教授は「国外への侵攻は史料に記されても、国内の情報は少ない。」と語り、今年も調査を続ける予定である。
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