ル・アルタントブチと、モンゴル朱刷りダンジュールとガンジュールについて
ル・アルタントブチと、モンゴル朱刷りダンジュールとガンジュールについて
世界有形文化遺産に2011年、「ル・アルタントブチ」と「モンゴル朱刷りダンジュール」が、2013年には9つの宝石で作ったガンジュールが登録された。一体、ガンジュール、ダンジュールとは何なのか。
お釈迦さまは3000年前、自愛の心を持ち、世の中のあらゆるものの存在理由、価値、相互関係を知ることについて、弟子たちに教訓を残した。この口承の教えを弟子たちが移したものが、ガンジュール(教義の翻訳)である。次に、インドの学者たちがガンジュールを詳しく研究し、言葉や概念、意味について解き明かした。これらの集大成はダンジュール(経典の翻訳)と名付けられた。ダンジュールは、お釈迦さまと弟子たちが作り上げた、108巻からなる1161の内容を収めた、大きい経典の集まりなのだ。
モンゴル人はただ信仰するだけでなく、ガンジュールとダンジュールを研究し、モンゴル文字に翻訳して子孫に受け継いできた。1819年には、金、銀、銅、真珠、さんごなど9つの宝石を使用してガンジュールが作られた。モンゴルは、仏教の発展に大きく貢献してきたのだ。
ガンジュールとダンジュールはサンスクリット語を語源としており、バリ語、チベット語、中国語、満州語、モンゴル語でそれぞれ保存されている。モンゴル語に翻訳され始めたのは13世紀の終わりから14世紀の初めごろだと言われている。その後、チンギスハーンの血族の最後の王であるリグデンの命により、4人の学者によって1629年に完全に訳し終えたようだ。ダンジュールは、1741年~42年にかけて、約200人の学者と翻訳者らによって翻訳された。完成後、226巻に分けて木版刷りにして、北京で出版したという。
モンゴル人は昔から経典や本を敬い、それを発行することに財産と情熱を注いできた。本の制作に知識や財産を費やすことは美徳とされ、たくさんの経典は読むための本という範疇を超え、芸術作品になった。「本に祈る」国民はモンゴル以外にいないだろう。モンゴル人は、経典を神のように崇める国民だ。経典は普段、仏像と一緒に置かれており、本をまたいだり地面に置いたりすることは決してしない。また、自分たちは普通の布でデールを作るのに対し、経典は必ず絹の布で巻くという。
外国の学者らがモンゴル版ガンジュールとダンジュールについて調べた結果、原本を正しく訳したクラシック作品だということが明確になった。そのため現在では、モンゴルのガンジュールとダンジュールは研究の文献として使用されており、これらが保管されている民族図書館には、多くの観光客が訪れている。
ガンジュールとダンジュールは、仏教の大小10の教義のほか、幅広い科学の分野をも網羅する科学百科事典という一面も併せ持つ。この経典には、現在進められているナノ技術やバイオテクノロジー、地球学についての記述もある。仏教が布教された当時は、ガンジュールやダンジュールは信仰の対象として注目されていたため、内容の研究は遅れていた。現在では、経典に書かれた全ての記述が研究対象になっている。なんとガンジュールには、飛行機の作り方についての記述もあるという。
科学の発展により、分子はとても細かい組織に分割されることが分かっている。ナノテクノロジーの研究において、この分割の研究は極めて重要だ。経典に残された記述を基に研究を進めれば、ナノテクノロジーを超えたさらなる技術を発見できるかも知れないとまで言われ、イギリスやアメリカで深く研究されている。
現在、モンゴル文化センター「ツォグトツァギーンフレデン」の提案で、ガンジュール108巻とダンジュール226巻をキリル文字に写す作業が行われている。キリル文字になることで研究に使いやすくなるため、ますますの発展が期待されている。
2011年に世界文化遺産に登録された「ル・アルタントブチ」は、モンゴルの初めての歴史作品で、1651年に作られた。この作品には、「モンゴル秘史」の282条のうち233条が記されていることから、「モンゴル秘史」の原文の一つだと言われている。チンギスハーンの時代から1500年代のリグデン王までのモンゴルの歴史について書かれた177ページにもおよぶ作品だ。「ル・アルタントブチ」は、1925年に学者のジャミヤンさんによって発見された。内容的、時代的に貴重であると同時に、モンゴル人の美的感覚についてよくわかる素晴らしい作品だ。
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